2025/12/06 16:28
12月1日、パトラさんが息を引き取りました。
自分でも驚くくらい、大声をあげて泣いてしまった。
パトラさんは、最期の最期まで、思い通りにならない体を一生懸命動かして
声にならない声で「二ャッ」ってたくさんお話ししてくれました。
最期までパトラさんらしく、おしゃべりでした。
うちにきて4525日。約12年。
でも、生きた時間はきっと20年近かったと思います。
保護した時は、野良で推定8年なんて言われたから
それ以上の時間を、家猫として生きてほしいと思っていたけれど
いつのまにか家猫で12年。
家猫9年目を迎えた時、すごく嬉しかったのを覚えています。
なんで死んでしまったのか、正直なところわかりません。
脳に腫瘍でもあったのか、それとも老衰なのか、鼻炎が直接の原因なのか‥。
パトラさんはお年を召しているとは思えないほど運動神経がよく若々しくて
なんだかこのまま30年くらい生きてくれるんじゃないか?と本気で思わせるところがあって
パトラさん、すごいなぁ、ずっと一緒にいてくれるかなぁって思っていたけれど
最期の1週間でガタガタっと体調が悪くなり、戻りませんでした。
でも最期の一瞬まで、一生懸命生きて頑張りました。
本当に頑張り屋さんで、誰にも優しい猫ちゃんでした。
パトラさん、家猫生活どうだった?
この4525日の間に、パトラさんは世田谷にいた方がもしかしたら幸せだったのかなとか
あの夏、保護しなければ亡くなっていたと思うけど、仲間や子どもたちと引き離すことになっちゃって
本当にパトラさんのための幸せだったのかなとか、
パトラさんは日本語がしゃべれないから、確かめる術がなくて
日々、パトラさんはどう思ってるかなって思ってて。
いやでも、保護したことがわたしにできる最善だったって、自分に言い聞かせるように納得しようとしたりして。
パトラさんが愛しければ愛しいほど、葛藤もあった。
でもパトラさんが亡くなって、両親が本当に悲しんでわんわん泣いていて
そうか、パトラさん、いっぱい愛されていたんだなぁって
パトラさん、うちで幸せだと思う瞬間が、確かにあっただろうなって
そう思えました。
1週間前は飲まず食わずなのに、本当ににゃーにゃー言って
家の中の誰よりも徘徊していて、びっくりしちゃった。
もともとにゃーにゃー徘徊癖があるんだけど、飲まず食わずで普通なら動けないと思うのに。
この体力があるなら、もしかしたら‥って
もう病院は行かないって思っていたけれど、自宅点滴をその後試みました。
でも、点滴をしても日に日に悪化して。
自分の力ではご飯も水も飲めない状態で。
これ以上は苦しみを長引かせるだけなんじゃないかって
自宅点滴も2日で切り上げました。
だからかわからないけれど、最期はほとんど苦しむ様子もなく
本当に穏やかでした。
最期の数日は、うちにきて初めてわたしの膝で眠ってくれて、
抵抗する力も残っていなかったからかもしれないけれど
一緒に寝てくれて、嬉しかったな。
パトラさんの幸せを考え、迷いながら一緒に生きた時間。
わたしはこの4525日、誰よりも幸せで、何よりも美しく豊かな時間を過ごしました。
パトラさんと出会えて本当によかった。
パトラさんと出会わなかったら、わたしが保護活動をすることも
猫と暮らす洋裁店をすることも、絶対になかった。
わたしはパトラさんと出会ったから、いろんな経験ができて
生きることへの迷いがなくなりました。
間違いなく、パトラさんはわたしの人生の光。
パトラさんに救われて生きてきました。
パトラさんは、最期まで、強く美しい猫ちゃんでした。
まためぐり会いたいけれど、なによりも
次は生まれた瞬間、誰からも祝福されて、幸せになる命になってほしい。
うちに来た時、「セタガヤ・クレオ・パトラ」って名前をつけたんだけど
葬儀屋さんに名前を聞かれた時、自然と「林パトラです」と言っていました。
もうずっとずっと、うちのパトラさんだったんだなぁ。
四六時中たくさん涙がでてくるし
あの時もっとこうすればよかった、とか
こうした方がよかったのかな、とか
正解がないから、考えてしまったりするけれど
4525日間、自分ができるだけの全力で、パトラさんと向き合ってきた。
その自信だけはある。
これからもパトラさんと生きた4525日と向き合って
そう思い続けることができるように頑張ります。
正解のない問いの答えは
きっと、これからの人生の中にある。

