猫と暮らす洋裁店magical は、現在準備中です。
2024/01/03 16:30
1日の能登半島地震で被害に合われたみなさまへ、ならびにそのご家族のみなさまへ
心よりお見舞い申し上げます。
迷子になってしまった動物さんたち、おうちのない動物さんたちのこともとても心配です。
どうかこれ以上の被害が広がらないようにと、切に願っています。
今日は個人的なお話をしようかと思います。
心が疲れてしまっている方もたくさんおられるかと思います。
そういった方は無理をせず、今日は当店のブログはここまでで、
また後日、別のお話を書いた時にご覧いただければと思います。
わたしには富山県と福井県に、友人がおりまして。
昨日、無事に連絡がついたところです。
幸いわたしの友人は、ライフラインも止まらず生活ができていると聞きました。
でも、余震は続いていて、また起こるかもしれないと思うと不安でって、眠れない夜を過ごしています。
友人のことが心配でたまりません。
わたしに何ができるのか、昨日からずっと考えています。
東日本大震災の時、わたしは茨城県南部で生活していて、千葉県に仕事で通っていました。
震災の日は千葉県の職場にいて、そこで一夜を明かし
翌日も電車が止まっていたので、帰宅するのも本当に大変でした。
(うる覚えだけど震災から電車が復旧するまでに8日前後かかったし、復旧してもかなり間引かれていて、乗ったら文字通り呼吸しにくいほどギュウギュウに混んでた)
なんとか帰宅したら家具はぐしゃぐしゃで自室のドアを開けるにも苦労し、こじ開けてみたらガラス製品や陶器は割れて全滅。
ガス、水、電気は止まりました。
特につらかったのは水。
備蓄していた水も底をつくし、トイレは流せないし、なんと言ってもお風呂に1週間入れなかったことが本当にこたえた。
冷蔵庫も機能してないから、とにかく腐らせないようにやたらと毎日カセットコンロで
あるものをお鍋でとりあえず煮る、焼く、みないなことしてたけど、めちゃくちゃ飽きた。
近隣では買いだめする人が殺到して、スーパーでは購入数の規制がかかり、日用品も食料も周りでは手に入らなくなっちゃって。
そんな時に四国在住の伯母から食料や物資が段ボールにいっぱい送られてきて。
段ボールを開けて思わず家族みんなで「わーーー!」って声にだして喜んだ。
ほんっっっっとうに嬉しかったのを覚えてます。
その後、仕事に行くにも電車が通っていないので、行こうにも行けない、みないな状況にもなり。
なんとか行けたら今度は殺伐とした地元と千葉県の少し落ち着いた雰囲気のギャップに、メンタルがゴリゴリに削られて。
電車の中でぼんやり外を眺めると、地元に近づくにつれ少しずつ街の景色が変わっていく。
瓦が壊れて青いビニールシートをかぶった家が増えて、崩れた家が少しずつ増えていく。
そういう景色を見ながら、わたしは家があるのに辛いよなんて言っていいのかなとか
家族がいて日常を取り戻せるのに涙がでるなんて、許されるのかなとか
そんなことを自然と、ばかみたいに考えすぎて自分が追い込まれていくような感覚があって。
無理して日常に溶け込んでいるふりをしていたある日、突然涙が止まらなくなった。
でも、どんな時でもどんな状況でも、辛いことを辛いって言ってもいいって今は思うんですよ。
今こんなことが辛いよって言えば、心配してくれる人はいるし、優しくしてくれる人も確かに存在している。
少し弱音を吐いても肯定してくれる人がまわりにいる。
そういう経験って何よりも大切なことで。
そういう誰かの優しさに、わたしは生かされてきたんだろうなって思うんですよ。
本当にこんな時、自分の無力さを思い知らされるよね。
でも「大丈夫」なんて言えないけれど、立ち上がれるように手助けしてくれる人がたくさんいるって信じたい。
「あの時救われた」その経験を少しずつ、別の誰かに渡すことはできるかもしれないとかね、思ったりする。
わたしは友人に何ができるかな、あの時何があったら嬉しかったかなって考えて
水のいらないシャンプーと体を拭くシート。水。それから携帯トイレにホッカイロ。
臭いをおさえる袋や生理用品、トイレットペーパー、キッチンペーパー。
チンでできるご飯やおかず。なるべくいろんな種類。
友人から連絡が来た時にすぐに送れるように、準備をしておこうと思います。
それから、まだ送付先を決めていないけれど、センターとか団体さんとか同じように動物さん用の物資をお届けできたら、と思います。
自分で届けられたらいいけれど、道の状況がわからないから二次災害を起こさないためにも
宅配便の状況を見ながら、準備しておこうかなと思います。
みなさまの安全と、1日もはやいライフラインの復旧、そして復興を、心からお祈り申し上げます。